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このような無意識の記憶というのは、何らかの象徴として、あるいは印象や符号として現実を見ている。すなわち、現実が自分自身の体験や記憶と結びついているのである。 そしてそれが、自分の中の生理の作用と結び付いたとき、つまり、無意識の記憶としてだけでなく、それが生きた肉体の生理と結びついたとき、そのリズムやバランスといったものが、自分自身の存在のあり方として感じられているのである。 そしてこれが、心地よさとか、憂欝とか、気持ち悪いといった、気分や気持ちのあり方なのである。要するに、情緒といったものなのである。それはある意味で、自分自身の肉体が外の世界と反応していて、自分のなかで、自分の気持ちのあり方といったものを作りだしているのである。 それと意識することなく、自分で自分の気分といったものを作りだしている。そしてこれを、自分の気持ちや気分として、無意識のうちに思い込んでいるのである。また、このような感覚と生理のリズムのなかで、自分自身の情緒の世界を生きているのである。 |
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