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9、存続。


こうした事情を、例えば東アジアにおいて見るならば、米の水稲耕作というのが、東アジアの地理的・自然条件からの必然なのであって、またそこから、上下関係に基づく集団主義、そして個人意識の排除というのが、このような生産と生存のためのシステムとしての、必然の結果なのである。

そうやって、社会のシステムが維持され、保存され、継続してきたのである。そうやって継続してきたのである。あるいは、そうやってのみ継続し得たのである。そしていまもそうである。継続したからこそ、それが今も残っているのであって、そして今を生きている私たちにとっての無意識の常識となっていて、私たちを支配し拘束し続けているのである。

これがもっとも自然で当然の、生まれながらの、自分が生まれる前から持っていた本能や自然の摂理のように思えてくるのである。そしてまた、これに逆らう者を許すことが出来ないのである。非人間的な、正体不明のヨソ者のように思えてくるのである。それは、自分たちの存在を脅かす者なのである。

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