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秩序、統一、調和・・・等などをカタチ作るのが合理であり、理由だとすると、理由が与えられ、定まり、決まっているからこそ、それに基づいて規則とか秩序とか形式を定めることが出来るのである。もっとも大事なことは、それらすべての前提になっている「理由」そのものなのである。 それは、自分の外に出て見ないと見えないのである。それは、現実を生きている人間にとってみれば、異質で未知の世界なのである。自分の感覚では知り得ない、知ることができない世界なのである。現実を生きる自分の感覚を越えた所にある世界なのである。 自分は自分では見えず、自分は他人を通して見えてくる。自分は、他人によって自分を知ることになる。たとえそれが、自分の中に住む他人であったとしても、それ自体が、自分の外の他者からの反映なのである。 もちろんこれは、時代の現実の条件に基づくものであって、たとえば、すでに「理由」や「教義」が定まっているのであれば、それを論理的・合理的に展開してゆくしかないのであって、また、それで十分なのであって、そうした方向を取らざるを得ないのである。 |
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