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結局、なにが言いたいのかというと、最初に言ったこと、現実の世界と観念の世界とは別のものだということである。しかしまた、だからこそそれが、人間が持つ様々な可能性を示しているのである。 こうして現実の世界というのが、無限の広がりと深さでもって、自分に迫ってくるのである。感覚というのが、自分の感覚に疑いを持ち始めたのである。常識やオキテと対立し始めたのである 世の中には、いろんな人間や、様々な民族や宗教があって、それぞれが固有の、個性的な価値観や生き方、ライフスタイルをもっている。そうしてそれが、それぞれの人間や民族の自己の内的同一性であり、タマシイであり、自意識なのであって、だからこそ、それが限りなく貴く、無限の可能性を秘めているのである。 無限の様々な根源を持つ、多元性・多様性とも言われている。個人としての人間の、そして民族・国民としての固有の自律性なのである。アイデンディティー、内的同一性とも言われているのである。 |
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