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例えば、人間が景色に見ている「色」というのは、ただそれだけで、単独で人間に印象されることがなく、人間にとって印象されるということ自体が、何らかの象徴としての意味を持っている。そしてこの意味から離れて、「色」自体が単独で人間に見えてくることは、現実にはないのである。 それは、「色」自体が何らかの意味を現わすものとしてしか、人間には見えないからである。意味がないものを見たり感じたりすることが、人間には出来ないのである。 それはなんらかの出来事や、その場の空気や雰囲気、それに気分といったもの、そしてそれ以前に、五感全体として感じられてくる。気温や肌触りや音や臭いとともに、さらには自分自身の肉体内部からの感覚、気分や情緒や感情といったものとも結びついている。 だからまた、それが「色」であり、感覚の感じ方、感受性となっているのである。これはどういうことかと言うと、色というのが、感覚の感受性と結び付いているというのは、それ以前に「色」というのが、自分のなかで符号化され、象徴化されているということなのである。 |
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