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4、内的同一性。


これをたとえば、日本列島において見るならば、大昔に蝦夷(えぞ)と呼ばれ同化されてきた、日本の東北地方は、現在にあっても一方的に、社会的下位の序列が押し付けられている。

しかし実は、そうしたことの相互作用といったもの、そうした中央(東京)と地方(東北)との、このような関係性を、私たちは民族ないし国民と言っているのである。

すなわち、このような地方の独自性といったものが、民族や国民としての総体をカタチ作っているのである。そしてそれは、日本と世界に対する関係においても、そのまま言えることなのである。このような、独自の特徴や個性といったものが、自己の内的同一性となっているのである。

つまり、自己の内部に、こうした固有でオリジナルな独自性といったものが無くなれば、もはや民族とも国民とも言えず、タマシイは死んだも同じなのであって、自分で自分を見失うことになる。自分が誰なのかわからなくなるのである。

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