index< 日誌 < y肉体 z自意識 < 18-362「求めるもの」p5- |
だからまた、そうしたことが男を男として、男的な生き方、気質や気性といったものを「常識」として定着させてきたのである。そして、そうした歴史的な結果が、現在を生きている私たちの現実であり、そしてその存在の仕方なのである。 気質も気性も、その存在の仕方も、このような非常に長い歴史的なくり返しの、日常の産物であり、結果なのである。このような自分たちの歴史の結果なのである。 そうした意味で、やはり、男と女はどこか根本的に違うのである。身体の仕組みがもともと違うのであって、そうだとすれば、それがもたらす行為の、向き不向きの方向もまた違ってきて当然なのである。 男同士の間でも身体的特徴の違い―背が高い低い、身体が大きい小さいなどによって―、当然、性格の違いも制約されて来るし、また、その得意とする分野も当然違ってくるのである。これが、男と女の間であればなおさらである。 |
index < 日誌 < y肉体 z自意識 < 18-362「求めるもの」p5-