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3、違う。


つまり、他の言い方をすると、同じ人間だからこそ、それが反対のことを感じたりすることが出来るということなのである。そうでなければ、それは自分とは関係のないこととして無視するか 、また、それ以前に何かを感じるといったことがないのである。

あるいは、たとえ「種」が違っても、それが同一の舞台の上に成り立つ種だからこそ、それが「違う」として感じられる、ということなのである。そしてこれは、種に限らず、同じ人間同士や民族や国民についても、そのまま言えることではないだろうか。

そうやって人間は、それが「違う」ということを通して、自分を証明し、認め、納得し、そして確かめている。そうやって他人を通して自分を見ていて、そして自分を意識し、自覚している。共感し、同意し、あるいは反発したり嫌悪しながら自分を確かめている。

これは、たとえばそれが女と男の間だけでなく、異なる地域同士やと時代の政治体制や信仰、そして習慣や常識についてもそのまま当てはまる。そうして他人を通して自分を見ているし、そして自分を意識している。これはバランスなのであって、そして、こうしたことが全体としての人間社会を作り出している。

戻る。                  続く。


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