index< 日誌 < as同一性 < 18-377「続、偶然の錯覚」p5- |
つまり、先に述べた偶然の錯覚というのは、このような自己の身体自身が持つ、非常に根深い起源にまでさかのぼるものである。そして自分が生きている現実とは、このような自己の肉体が記憶している、歴史の結果なのである。それは数千数万年に渡る、種としての非常に長い歴史の結果が生み出したものなのである。 こうしたことが自分自身の感じ方の土台になっているのである。言わば、自分自身の身体の基本設計となっているのである。そうした意味で感覚というのは、自己と他者、あるいはまた、自己と外の世界の接点にあって、そのどちらをも行ったり来たりしているものであると言える。 そしてそうしたことが、自分の中でイメージや象徴を作り出しているのである。また、それが自分の感じ方というもので、自分自身のオリジナルな自律性と存在の必然性となっているのである。自分が自分であることの証明であり、根拠となっているのである。 |
index < 日誌 < as同一性 < 18-377「続、偶然の錯覚」p5-