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4、偶然。

しかし「カタチ」とは、何らかの意味において既に知られているものである。すでに知られていて、すでにあるものだからこそ、それを知ることも意識することもできるのである。

うすぼんやりして、あるいは、もうろうとして捉(とら)えどころがないとしても、そうしたこと自体が、すでになにかを知っていて言い表している。少なくとも、知らないということを「知っている」という意味でも、そうなのである。まったく知らないこと、自分とはかかわりのないことを、「知る」ことは出来ないのである。「知らない」ということも、それもまたかかわり方の一つなのである。

そうやって、「知る」ということは、自分の中にあるそうしたなんらかの経験や記憶に基づいて、そのように感じているのであって、印象が仕分けられ、類推され、比喩され、何らかの暗示や示唆へと結びつけられ、符号化・象徴化されてゆく。

もちろん、それらのたいていが錯綜した偶然の一致に過ぎないものなのであるが・・・。このような、なんらかの自己の記憶を基に、それに照らし合わせて関連づけて、そして意味づけしているのである。

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