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2、輪郭線。



それはまず境界線としての輪郭線があって、そうして初めて何かが連想されて印象に残り、何か意味あるものとして記憶に残る、残ることができるのである。カタチとして思いだされることができるのである。カタチのない色だけというのは、なんのことかわからないのである。

まず、背景と「もの」を区別する境界線があって、それが輪郭となってカタチが現れて来て、そうして始めてそれが「もの」として自分に意識されてくるのである。もちろん、なにか特殊で特徴的な色があって、そこからなにかが導かれ特定されてくることもあるが、それはきわめて稀(まれ)な何かの象徴に過ぎないのである。


「色」とは、その見え方として常に変化するが形は別なのである。何の色かわかっていても、そこに形がなければ現実のものとは言えない。「もの」とは、その背景と区別される境界をもった輪郭線が必要なのである。こうした境界線なしにそれ自体が周囲から自律した必然性をもつことが出来ないのである。

例えば気体と液体は、ものとして定まることがなく、現実のものとして固定されることがないのである。それは揺れ動き定まることのない変化の「過程」を見ているのであって、「もの」を見ているのではないのである。境界線のないところに自己と他者の区別は存在しないのである。「もの」とはこのことなのである。

そして「カタチ」とは、意識のなかで連続する論理のつながりであって、自律した必然性が、それとわかるようなカタチとして表現されたのである。だから、カタチとは必ずしも目に見えるものである必要はなく、音でも、触れる感触でもなんでもよかったのである。要は、それが自己と他者を区別する論理的なつながりとして意識され、感じられてくるということなのである。


 戻る。              続く。

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