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3、境界線。



ものとして意識されるには、それと周囲の背景との区別が生まれてなければならない。最初は背景の中から、それらの間に何の関係性も見いだされないような、気まぐれと偶然性だけが支配する世界である。背景の中から背景とは何か別のものが出てこようとしている。

混沌(こんとん)としていて、入り乱れ錯綜し、どうでもよく、どうにでもなるような、そうしたなんの意味も持ち得ないような意識の世界から何かがでてこようとしている。

それは意識にまで至ることのない気まぐれな感性と、自分と他者が区別されることのない感覚的なあいまいさと、無意識なままの情緒が支配する感覚の世界である。従ってなにもかもすべてが何の意味も持ちようがなく、自分の意識などは、どうでもよいことになる。これが、ものをカタチとして見ることのない世界である。

カタチがないというのは、自分と他者を区別する境界がないということである。自分の中で、自分とは異なる必然性を見つけることが出来ないのである。いまだ自分と他者が別のものとして意識される、ということがないということなのである。

自分のなかで、自分でない他者が迫ってくることもなければ、あるいは反対に、自分が他者に吸い込まれてゆく、といったことが感じられない。精神のなかで、そうした圧迫とか吸引を感じることも意識することもない世界である。


 戻る。              続く。

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