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カタチなき記憶とは、いまだ意識にまで達することのない感覚の生理作用の段階に過ぎないのである。意識以前の肉体の生理の世界に過ぎないのである。カタチとは、何らかの理由が連続する意識のつながりであって、そうした「つながり」だけがが意識のなかでカタチとして記憶に残るのである。 これは出来事を、それが印象する感じ方の「つながりあった」関係としてとらえている。言いかえると、このような関係性のない印象というのはとらえることが出来ず、記憶にも残ることがないということである。 だからこの意味では、「カタチ」とは何か目に見えるものに限らない。音のつらなり(リズムとかメロディー)や、その場の人の気配や空気として感じることもある。カタチとは論理のつながりであって、様式や輪郭のことであって、それが何かのカタチとして人間には思いだされてくるのである。カタチなきもの、論理のつながりのないものを人間は思いだしたり、記憶に残すことはないのである。また、記憶に残す事が出来ないのである。 それは自分がいま生きている理由とか根拠といったもので、それが自分自身とのかかわりの中で何かしらのカタチとして、それを印象したり象徴するものとして思い出されてくるのである。そうした、意識のつながりのないところに、人間の記憶は残ることが出来ないのである。 |
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