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3、境界。



だから、記憶に残ることもなく、思い出すこともなく、見えることもないのである。いつかどこかで自分が見ていたのだ、ということがどうしても思い出せないのである。

それに気づくということが自分にとって非常に都合が悪い、そうしたことがあるのである。それを知るということ自体が、自分の存在に疑いを抱かせる根拠となってしまう、そうしたことがあるのである。

だからまた、心のどこかでそれにフタをしていて、気づかず知らぬフリをし続けているといったことが多々あるのである。またそうやって人間関係が成り立ち、社会というのがうまく回ってもいるし、納まっているのである。人間は生きている。そして自分の身を守るといったことが何よりも大切なことなのである。

むしろそうやって人間は自分の存在理由と居場所を定め、自分の保身に務めているのである。言いかえるとシツケやシキタリがそうである。これは人間社会のタブー(禁忌)なのであって、見ても聞いても触れてもならない、社会全体の暗黙の合意事項なのである。

意識されてはならない無意識の、社会全体の共有意識なのである。その社会全体の境界線と囲いの範囲を定めた、目には見えない「標識」の超えてはならない限界線なのである。


 戻る。              続く。

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