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見ているものが全体として人間の目に見えてくるのではなくて、それを印象し特徴づける一部分だけが先に見えてくる。無意識のうちに人間は本能的・直観的・反射的にそうした行動をしている。 あるいはそれを、なによりも先に見ようとし、それを見つけ出し、そしてその一部分だけが先に見えてきて、それからあとで全体が見えるといった具合である。なにげなく見ているのではなくて、「そうであるはずだ」とか「そうでなければならない」という目的と意識が先行してものを見ているのである。あるいは「先行」することがなくても無意識にそれをしている。私たち人間は、そうした印象と象徴が支配する世界を生きている。 意識が先行することによって、あるいはそれが無意識の習慣となって、その印(しるし)となるものを先に探し見つけようとして求めるのである。だからそのとき、その部分だけに焦点が定められ、他の部分がボヤけてかすんでしまうのである。仮に焦点距離があっていたとしても、見えていないのである。 これが人間が生きている社会の境界線なのである。ここから先へは出てはならないのである。私たち人間は見えない「囲いの中」の世界を生きている。これが常識であり公序良俗であり習慣やオキテの支配する現実の世界なのである。現実の世界とは、それが実際にあるのかどうか以前に、それが自分にとって有利かどうかで、それが定められ信じられている、そうした世界である。だれもそこから出るようなことはしないのである。 |
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