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以上は人間が意識的に焦点距離を定めて見ている場合である。人間はそこに何かを求めて探し願っているのである。しかし、それと似たような見え方をする場合が、人間の目の焦点と関係なく起こることがある。光の性質と大気中の空気が、それと似たようなボヤけ方をする場合があるのである。 人間の意図や意識とは無関係に、自然環境そのものがそれだけで、そうした背景や条件・状況を偶然に作り出す場合がある。 逆光と順光を同時に見ている場合がそうである。この場合、人間の顔の正面はよく見えるが、それ以外の部分、特に顔の外の輪郭部分がぼやける。「逆光」によって光が周り込んで、顔とその外側境界部分(輪郭線)をぼかすのである。同時に、「順光」によって、顔の表面がよく見えるのである。 外側の顔の輪郭線がぼんやりと消えていって、外面が消えてしまい、内面だけを見ているように思えてくる。自分でも意識することなくそのように見てもいるし、またそのように感じられてもくる。自分から求めもしないのに、相手の特徴や性格の内面的な情緒の世界を見ているような気がしてくるのである。 しかしこれは誤解である。これは錯覚であり誤解であり幻なのである。なんら実体や意味を持たない幻覚に過ぎないのである。しかし、幻覚や錯覚だと言ったところで実際にそのように見ているのである。 |
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