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「逆光」によって、背景と特に人間の顔の外側輪郭といったものが白くぼやける。そしてそのなかから、「順光」に照らしだされた顔の表情だけがくっきりと浮かんでくる。これは、精神の内面といったものが、外の現実世界へ押し出されて、浮かび上がってきたのである。だからそれは、人間の内面世界がそのまま映像として映し出されたのである。 しかし問題となるのは、それが、つまり自己の精神の内面といったものが、いつでもどこでも、それだけとして、ありのままのむきだしとなって現れている、というところである。つまり、あるのはいつも内面だけであって、外面といったものが見あたらない、ということなのである。言いかえると、これは何ら実体というものを持たない幻覚やマボロシに過ぎないということである。 これは本人がどう思おうと関係のないことである。要は、そのようにしかならない、ということである。そのようにしかならず、それしか出来ず、そうならざるを得ないということである。客観的な現実といったものは、そのようにしか表現し得ないということである。本人の意志など全く関係がない、また関係がないからこそ現実なのであり、客観的だといえるのである。 |
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