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そうであるならば、そのシステムに合う者、合わない人間をどうやって識別するのだろうか。 ここで、個人的な仕草(しぐさ)や行動パターン、顔の表情や生活スタイルといったものが注目されることになる。個性的な感情や感覚の持ち方自体が疑惑と詮索の対象となる。それはただの思い込みに過ぎないのであるが、そうした偏見が正義となって、感情や感覚そのものが疑いの目で見られることになる。 そして意識すること、考えるということ自体が処罰の対象になる。確かにその通りである。中世の魔女狩り、20世紀の共産主義政権がしたのがそうである。また戦前戦中の「非国民」そしていまの日本の「非日本人」がそうである。 文明の様式は、その原理から導きだされるそれ特有のスタイル、つまり生活のパターンや感情表現の仕方や「しぐさ」といったものを形成する。そして、それに合わないものが、「あやしい」とされるのである。何を考えているのかわからない、わけのわからない、正体不明のあやしい人間とみなされるのである。 |
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