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5、必然。



そして、いままではただたんに個人の気まぐれや偶然・個性に過ぎないと思われていたことが、たとえば個人のしぐさや立居ふるまい、言葉のイントネーション・・・等々。そして好みや考え方に至るまで、また感覚や情緒もそうである。そうしたことのすべてが文明というシステムの原理から見ると、規制され方向づけられてきた必然の結果のように思えてくるのである。

もちろんそれは、どこの、だれが、どのようにと、特定できるようなものではない。それはむしろ偶然というべきものである。それは、だれでも、どこでも、そしてどんな形をとろうとも、それはどうでもよいことであって大事なことは、それがどこかでだれかによって、なんらかの形をとって必ず「現れてくる」ということなのである。

そうならざるを得ず、そうなるしかないのであって、それ以外にないのである。それが、
システムが持つ必然性なのである。システムが機能する、内的な仕組みや指向性、条件、制約などから導かれてくるものなのである。それはシステムの構造と原理から指向され導かれてくる必然の結果なのである。


戻る。            続く。

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