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3、他人。



それは、自分の肉体の中に宿る精神の実体なのである。自分ではどうにもならない、もう一人の自分自身の姿なのである。まるで、いつでも、どこでも付いてまわる自分自身のカゲのような存在である。

顔やすがたの表面に映る濃淡のカゲ(陰)、地面に落とされる暗いカゲ(影)もそうである。どちらが本当の自分なのか、わからなくなるのである。自分の中に住むもう一人の自分に恐れおののき、おびえている。自分が呑み込まれてしまいそうになる。

見えるものでも見えないものでもなくて、その境界線上にある、「肉体の記憶」だけで作り出された衝動的で本能的な映像。幻視ないし神経障害、あるいは視覚が錯乱しているのかも知れない。思い込みと異常なまでの執着と偏見、とらえどころのない、果てしのない自分でもわけがわからない願望。そうした目的が見つからない理由なき願い。

そうした、わけのわからない願い、または恐怖がないものをあるように見せている。あるいは、もともとあったもの、忘れられたもの、失われたものが、思い出されて見えてくる。

どこにでもある、どうでもよいようなことが何かの印象や象徴、痕跡やカケラのように思われてきて、なにかを連想させ予感し、暗示し示唆している。そうして導かれ、誘われるままにそれを受け入れている。そしてそれが何かの場面で「はっ」と気づかされるのである。いま生きている自分は他人なのかも知れないと。


戻る。            続く。

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