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見るもの、聞くもの、触れるもの。そうした自分の外にあるものが自分を刺激し、自分のなかでコダマし呼応している。同期し混じり合って交流している。 そしてめざめて生き返り、再生し、復活してしている。そしてそれは自分の中にある肉体の生理作用であり、持って生れ出てきた感覚自体の感受性なのである。それは自分でも、どうにもならないものなのである。 そうやって自分で自分を感じている。そうやって自分の心臓の音や呼吸の気配、息吹きが自分にも感じられるのである。自分のカラダの中を駆け巡る血の流れやリズムといったものもハッキリと感じられる。 たしかにそうなのだ。しかしそれが、まるで他人の気配のように思われて来て、自分のものでないように思えてくるのである。仕方がないのである。それは自分の身に覚えのないことなのだから。なぜそうなるのか、自分でもよくわからないのである。 |
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