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7、外の世界。



ここで、話をもとに戻して、
仮に、世の中がホロスコープ(万華鏡)の中で出来ていて、私たちはその中で生まれ育ち、暮らしている場合である。このような人間が、このスコープの仕組みを知り、それがカガミであることを知るのは、いったいどういう場合だろうか。

第一に考えられるのが、
それが、外の客観的な現実として見える場合である。つまり、スコープの外から、スコープをながめている場合である。これは文明開化後の日本が、アジアに進出ときである。日本は、かつての自分を進出先のアジアで見たのである。そしてまた、そのことによって自分をより深く知り、感じることができる立場にたったのである。

第二は、外からやってくる場合である。
スコープの仕組みを破壊するものとして、外から衝撃が加わった場合である。破壊された部分から外の世界が見えてくる。外の世界の原理とか常識といったものが、まったくの異質な未知のものとして見えてくる。ということは、自分たちが従っている原理も、どこにでもあるような、たくさんあるいろんな原理の中の一つに過ぎないということが、思い知らされる。150年前のペリーの来航がそうである。

第三は、何らかの事情で、文明内部で破壊が起こり、それまでの原理が通用しなくなる場合である。そしてそれに替わる新たな原理が求められてくる。

ところが文明を存立させている、地理や気候、文化や生産の様式が変わらない場合、ないし、変わりようがない場合。つまり、文化ないし歴史というのが、外部世界との接触が乏しく、ほとんど閉じたままで進む場合、自分を意識する場面に欠ける。新たな原理の必要も感じられない。そうした閉じた世界である。


戻る。            続く。

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