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6 「自意識。」 |
異なるものとは、この社会にとっては、作りだされるものであって、本来、もともとないものである。本来ないものを、ないしは、そうでないものを、異なるものとしてでデッチあげるのである。それは意図的に作りだされたもの、ないし、ねつ造されたものである。 この「排除」こそが、イヤ、もっと正確にいうと、なにかを、なんでもよいから、なにかを排除しているのだという、その「行為」そのもが、この社会にとっての不可欠の、生理作用なのである。それがこの閉じたシステムが維持継続される、原動力と存在の根拠となっているのである。 それこそが、つまり、「差別と排除」こそが、こうした社会にとっての、活力と生命力の源であり、そしてまた、それが自分たちにとっての、存在の根拠、必然性となっているのである。 それが、この社会に属する人たち、すべてにとっての、アイデンティティーであり、自意識となっている。自己の存在の理由となっているのである。そうやって自己を維持し、保存し、継続して行くことが可能になるのである。だからこれは原理であり必然であり、そして自己の理由となっているのである。 |