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6 「自意識。」 |
こうした、自分自身の理由といったものは、多数派であり、支配する側の人間にとっての、理由であるだけでなく、群れから排除され、虐(しいた)げられる少数派、いわゆる差別される側にとっての存在理由、つまり、考え方と行動、その生き方の理由ともなっている。そしてまた、その営みのパターン、生活と考え方の「型式」となっている。 怒り、憎しみ、いきり立つ。あるいは、集い、寄り添い、助け合う。喜びやあこがれ、祈りといってもの。やすらぎや、人生の楽しみもそうだ。そうした感情や情緒、感受性と衝動の源となっているのである。 そうしたことが、社会にとっての活力となり、生き生きとした原動力となっているのである。人間的な本性や生命力の発揮される、場面となっているのである。 自分たちにとっての「理由」とは、このことであり、それがまた、この社会全体から見ると、活力と生命力の源となっているのである。それは、しいたげる者、しいたげられる者、それぞれ両方にとっての居場所であるとともに、その「理由」を定めているのである。それぞれにとっての居場所と理由を与え、そしてそれを決定しているのである。 |