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10、精神のカタチ。



こうしたものの見え方、感じ方といったものは、現実から一歩退いたところに自分がいて、あるいは、現実の外から現実を見ているのである。たしかに現実と離れたところに自分がいて、自分というのが現実と対峙している。こうした自分とは、現実とは違うところにいる自分のことで、自分は、自分の現実から逸脱した観念の別世界を生きているのである。

自分というのが、現実の自分と観念の世界の自分とに分裂している。そしてそれが、自分にも意識され自覚されている。精神の外面と内面、現実を生きている自分と、観念の世界の自分。肉体の感覚としての自分と、意識の思考としての自分が、こうしたあり得ないはずの自分が生きている。

自分が誰か分からなくなる。自分というのが際限なく分裂してゆく。現実というのが自分とは別のものとして意識される。現実というのを、現実とは別の世界から見ている。つまり、現実というのを、自分の現実とそうでないものと、どこかで区別しているのである。自分の現実というのが、別世界の出来事のように思えてくるのである。


戻る。               続く。

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