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今までに自分が経験したり知ってきたことのなかに、それが入らない場合。それと他のものとのハッキリした区別が出来ず、とらえどころがなく、正体も不明なもの。こうしたわずらわしい、得体の知れない面倒なことについては、特別に事情がない限り、人間というのはすぐに無意識のうちに忘れるか、それとも本能的に避ける。積極的に忘れようとするか、始めから見ていなかったとか、自分の目の錯覚として思い込もうとする。 そうであるはずだし、そうでなければならないものとして自分に思いきかし、そして自分にも強く確信させようとする。それが事実と異なれば異なるほど自分につよく思い込ませ、確信させようとする。そうであるはずだし、そうでなければならないと。人間は自分にとって都合のよいものしか知ろうとしないのである。 それはシツケと称するもので人々を正しい方向へと導き矯正しようとするものである。それが自分たちが「信じるもの」として、無意識の観念の世界のなかで正義や道徳となっているのである。 でもしかし、正しいといっても、それは社会にとっての正しさであって、自分自身にとって正しいものであるかどうかは別のものである。それは自分自身の考えや良心でもって、自分で判断しなければならないことなのである。社会にとって正しくとも、自分にとってみれば正しくないことが多々あるのである。それに社会自体が正しくないことだって、けっこうあるのである。 |
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