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社会的正義などといっても、それは多数者の思い込みや気まぐれに左右されるものだし、それに、ねたみやヒガミも当然混じっている。それは、テレビや新聞で見る通りである。 それはただたんに大衆に迎合し、大衆が望む方向へと何でもかんでも理由をつけて正当化し導いているに過ぎない。そうした方向が、そしてそれが目指すところが正しいかどうかということは全く関係がない。そんなことはだれも考えないのである。 それに、正しいと思って主張するマスコミの正義といったものも、仮にそれが正しいことだとしても、やはりそれは間違っているとしか言いようがないのである。なぜなら、それは大衆自身がのぞんだことだからである。それは、自己放棄の極みといったものだからである。大衆自身が、自らの自由と責任を放棄した結果だからである。 自分自身の考えといったものがなく、自分のことを、自分で生きることをやめてしまった結果なのである。自分の考えというのを持たず、自分のリスクと自分の責任で自分の人生を生きようとしなくなった結果なのだ。だから、やはり間違っているとしか言いようがないのである。 |
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