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しかしこれもまた、現実の条件や環境によって、自分自身のすがたカタチを与えられるのであって、そうした外の世界を通してのみ、自(みずから)が現れるのであって、そして表現されるのである。このような自己と、その外の世界との関係性といったものが、外の世界の特性や性質によって左右されるということである。 そして、まさにこうしたことが、自己というのが、外的現実によって規定されるという意味なのである。これが人間にとっての背景であり、下地であり、土台になっているのである。人間は、現実というこの与えられた条件の下で生きているのであって、また、生きて行くことが出来るのであって、そしてこれが人間にとっての「存在」なのである。人間が存在する必然性となっているのである。 それは、自分の背景なのであって、自分の存在の前提なのであって、そしてそれがまた、自分が生きている現実の世界なのである。こうした現実によって自分というのが、現実の生きたカタチとして定められ、与えられ、方向づけられているのである。 そうしたことがまた、自分自身が持つ「存在」の必然性となっているのであって、自己のシステムの原理を生み出しているのである。原理とは、自分で自分を律しているということ、すなわち、これが他者と区別される自己の自律性なのである。 |