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4、ヨーロッパ。


ヨーロッパ人たちの「信じるもの」、あるいは宗教といったものは、彼らが生きてきた現実からきている。すなわち、絶え間のない民族の移動、そして農耕・遊牧・商工業といった異なるシステムの間での交易・交流。そしてその入れ替わりと変異。

さらに、異なる宗教や民族のシステムが絶え間なく混じり合い、変異し、重なり、錯綜し、出たり入ったりしている。このような移動と転変と変化の世界を生きていたのである。「変化」することを常とし、また、そうしてのみ生き残り、みずからを後世へと伝え残して行くことができたのである。

しかし、東アジアでは、これとはまったく異なる。正反対といってよい。コメの水稲耕作は変化しないこと、固定したままでいることが、生き残り続けるための必須の基本条件だったのである。

だからまた、個人が個人として自立することも、自分が、自分の内部で分裂し、自分が自分に対立して悩むといったことがあり得ない世界だったのである。また、そうしたことがあってはならない、許されない世界だったのである。



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