index< 日誌 < am種 < 19-026「観念の世界@裂け目」p6- |
たとえば、100年ほど前のインドで、オオカミに育てられた兄弟が、少年になって人間社会に戻らされたのであるが、兄の方は結局適応できずに死んでしまった。肉体構造と遺伝は人間であっても、環境がそれをオオカミに変えてしまったのである。オオカミになる以外になく、それ以外の生き方を知らず、出来ず、オオカミのままで死んだのである。 あるいはまた、たとえば、金髪碧眼の人間でも日本に生まれれば、日本人としてしか生きて行く方法がないのである。それはドイツでも中国でもアメリカでも同じである。人間は、彼が生きている場所のルールと習慣と常識の下でのみ生きてゆくことができるのである。そのシステムの中でのみ人間として生きて行くことができるのである。 それ以外の生き方というのが、そこには無く、用意されておらず、認められず、それは許されないことなのである。もちろん、外交官とかビジネスマンという「外国人」もいるが、この外国ということ自体が、彼らが、所属する外国の主権の保護下にあるという意味なのである。 そうした意味で本人が生きている場所が、日本や中国あるいはフランスやドイツであろうとも、要するに、そこの主権すなわち、そこの国民として生きて行く以外にないのである。そうしてのみ生きて行くことができるという意味なのである。 |