index< 日誌 < am種 < 19-028「観念の世界B自意識」p6- |
もちろん、これは言い過ぎではないかと言うかも知れないが、人間はだれも追い詰められれば、たいていどんなことでもするのではないだろうか。バレない、誰も見ていないというだけでなく、それが模範であり、誰もが求めることであればなおさらである。 この「だれもが求める」というのは、そうした欲求を作り出すのを業務としている、マスコミと政府の仕事であって、またさらに、それを求めて選んだ国民の願いなのである。自由と、自分自身の自己意識を見失った結果なのである。 要するに国家という「カゴの中の鳥」なのである。外の世界を知らず、知ろうともせず、そこから出て外の世界から自分を見ることがないからである。そしてこの「そとの世界」というのが、自分たちという中から見るとまるで奇人・変人・異人の世界のように見えるのであって、だからまた許すことが出来ないのである。 自分たちの自意識を破壊することのように思えてくるのである。自分の日常と、自分の歴史と、自分たちの存在そのものを否定することのように思えてくるのである。しかしまた、このような異人にしか、本当の意味での「自分たち」という世界は見えて来ないのである。「自分」というのは、外の世界からでしか見えないのである。 |