index< 日誌 <  am種 < 19-035「観念の世界I続、上か下か」p4-


3、ランクづけ。


つまり、こうした外面的で形式だけというのが、上下の序列としての関係なのである。オリジナルとしての自己意識がない以上、そうとしかならないのである。自分のなかにも、相手のなかにも何もない以上、それは外面的な形式だけのものにならざるを得ないのである。

そしてこれが、そうした社会での人間同士の間のキズナになっているのである。すなわち、上下の関係がこれである。これを現実の世界で見ると、ケイレツ、元請け下請けの関係がそうであるし、先生・上司・親・兄弟姉妹の関係もそうである。学校や企業での教育、及び、家庭内で行われるシツケがそうである。

「まわりに合わせなさい」、「偉い人の言うことに従え」、要するに自分の考えがないのである。むしろ、自分の考えなどあってはならないのである。そうして、思考のパターンというのが、カテゴリー化され、一律に画一化されているのである。まことに、おめでたい話である。

学歴、資格、性別、生まれ、出身、外見上・身体上の特徴などによって、一律に区別され、カテゴリー化されているのである。要するに、外見だけで判断されてランク付けされるのである。まったく、バカげている。


戻る。                    続く。

index < 日誌 index< 日誌 <  am種 < 19-034「観念の世界G新、排除」P5-