index< 日誌 < am種 < 19-036「観念の世界J自己意識」p7- |
自分の中で、自分が分裂していないということが、自分の中で自分が存在しない理由なのである。自分の中で見つめられている自分と、それを見ている自分が存在しないということなのである。 では、この分裂している自己とは、いったいだれなのか。分裂している自分は、自分で自分を見ている。こうした自分は、いったい誰を見ているのだろうか。自分の中で自分が分裂しているというのは、このことなのである。自分が自分の中で、見られている自分と、それを見ている自分とに分裂しているのである。 自分の中で自分が、主体と客体とに分離している。または、主観と客観とに分離している。自分の中で境界線が張られていて、そして相争っている。そして、自分がどちらで、だれなのかが分からなくなる。僕は誰? しかし実は、このような分裂こそが自分自身なのである。この分裂によって、自分が自分に苦しみ、悩み、そうして自己に目覚めるのである。自分というのを意識するのである。自分というのが見えてくるのである。 このような自分の中での関係性こそが自分なのである。自分で自分に悩むとは、このことなのである。そうして自分が見えてくるのである。自分で自分を見ているのである。 |