index< 日誌 < am種 < 19-036「観念の世界J自己意識」p7- |
現実から認められた自分という存在。そうした他人から定められ、与えられた自分というのが否定されて、本来の自分の中にある「自分」というのに目覚めるのである。自分自身の自律性と、そしてその自己の内的同一性を自覚するのである。 自分でも、なぜそうなるのか分からないのであるが、たぶん反発しているのである。社会という現実から与えられ認められた自分というのに、反発し、そしてそれを否定しているのである。そして実は、それこそが本来の、自分にしかない自分自身の自己証明なのである。「めざめる」とはこのことなのである。 一つには、自分自身の中にある、神経や生理の作用といったものがそうである。そして、祖先から受け継いだ遺伝といったものもそうである。しかしまた、遺伝のみならず、この世に生まれ出た後の、文化的・社会的な慣れや習慣、シツケなどといったものもそうなのである。 そうしたことが、自分の中で自分と対立しているのである。まるで自分が他人のように思えてきて、そして、そうした自分と現実の自分とがえぐれて、むき出しになって、自分を引き裂いてゆくのである。 |