index< 日誌 < am種 < 19-037「観念の世界K続、自己意識」p6- |
そうした自分に、自分自身が悩むといったことがないのである。自分の中に、悩む主体そのものが無いのだということなのである。主体たる自分自身の、自己意識そのものが曖昧だということなのである。 自分が、自分自身の当事者になれずにいるのである。自分に悩まないというのは、たんに主体性が抜け落ちているということなのである。自分が居ないところに、自分が悩まないというのは当然なのである。 あるいは、自分が自分の、当事者にならずに生きてゆけるのである。だからまた、これが「幸福」なのである。権利だけを主張して、責任はみんなで取る、要するに誰も責任を取らないで済むのである。そしてこれが、自己意識が曖昧な世界、集団主義の世界なのである。 だからまた、自分に悩まずに済むし、悩む必要もないし、また、悩んでもならない世界なのである。ここで「悩んではならない」というのは、つまり、自己意識など持ってはならない、という意味なのである。自分を意識してはならないということなのである。 個人や人権やプライバシーなどは、体裁を取り繕うだけの「お飾り」にしなさい、ということなのである。そうやって集団としての「みんな」が丸く納まり、何もかもがうまくゆくのである。波風を立てるようなことをしてはならない、ということなのである。 |