index< 日誌 < am種 < 19-039「観念の世界M普通の人」p7- |
たとえそれが正しくないことだと分かっていても、そうした利害の関係から離れられず、それを押し通し続けるのである。そしてこれを民主主義と言い、最大多数者による、最大の幸福と言っているのではないだろうか。ナチスドイツも、大日本帝国も、共産中国も、最初は民主主義の多数派による選択だったのである。だれもがそれを欲し、望んだことなのである。 再度くり返すことになるが、人間はその場その時の瞬間だけを生きているのではなくて、そうした瞬間の長い連続した歴史的な時間を生きているのである。そして、この目には見えない時間という記憶の世界から見ると、多数者による意思決定が多くの場合、感情やその場の雰囲気だけに流されやすく、間違っているといった事が多々ある、ということなのである。 たいていそうである。だからそれを民主主義というのである。大衆の意志というよりも、心情や雰囲気が優先されるのである。自分の考えがなく自意識が曖昧で、自己の内的自律性に対する自覚のない世界では、そうならざるを得ないのである。 |