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6、ふつう。


自己意識のぼやけた世界では、それを他人に求めるしかなく、そうである以上、民主主義は外面的で体裁だけの形式に過ぎなくなってしまう。しかしまた、これがもっともラクでたやすく、安全で安心できる生き方なのである。そして、ほとんど大多数の人間、多数派もしくは反対派を含めた集団としての人間は、このような安全志向のフツーの人々なのである。

民主主義も、その当事者としての大衆自身の主体性が求められる、ということである。ただたんに、「民主主義」という形式だけをマネていればよい、というのではなくて、自分自身が自分の考えを持たなくてはならない、ということである。そしてこれがほとんどの場合に欠けている、ということなのである。

なにも民主主義が悪いというのではなくて、それ以前に「不釣り合い」だと言っているのである。個人の内的な自覚が、あまりにもボヤけてボンヤリしている、ということなのである。上辺だけで中身がなく、またそれゆえに滑稽で怪しく不可解なものになっている、ということなのである。


戻る。                   続く。

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