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人間は、あらかじめ環境によって用意され、定められた条件に従い運命づけられているということである。自分の生き方というのが、あらかじめ事前に設定されているということである。そうでないことをしようとしても、それはできないし、無理だし、可能性としてもないということなのである。 それを可能にする現実の条件といったものがない、ということなのである。現実の生き方と生活の仕方といったものが、もともとそうなのだということなのである。それは、人間が生きている現実の世界がそうなのである。シツケや習慣、それにライフスタイルといったものがそうなのである。 これは、例えれば、フラスコ(試験管)の中の世界と同じなのである。与えられた条件以外のことは、何も出来ないように出来ている、そのように事前に設定されているということなのである。 そして、そうしたことが人間を人間たらしめているのである。そして、それなしには人間は生きて行けないのである。たんに本人がそうだというだけでなく、社会全体がそれを本人に求め、そうでない者は人間として相手にされない、という意味でそうなのである。 それ以外の存在の余地というのが、あらかじめ用意されていないということなのである。それ以外の生き方というのが、あらかじめ拒否されているか、事前に設定されていないという意味でそうなのである。 |