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だからまた、自分がそうした世界を生きている限り、自分が自分に対立することも、意識したり自覚することもない、ということなのである。しかしまたそれは、自分というのが、他人に対してもそうであり続けるということである。 自分だけでなく、他人にもそれを求めるのである。自分だけがそうなのではなくて、そうした自分と同じものとして他人を見ていて、そして接しようとするのである。そして、それを押し広げようとするのである。それが出来るし、そうしなければならないと信じているのである。 だからまた、そうでない者を見ると許せないのである。それは「自分たち」でない者の事であって、そういうのが近くに居るというだけでカンベン出来ないのである。自分が汚されると思えてくるのである。そうした世界を生きているのである。 だからまた、そうした自分に気づくことも、それが見えることもなく、それが理解されたり、知られることもないということなのである。そうした世界の住人なのである。そうしてまた、そうである限り、そうした内的な自己を意識する人間を理解できないのである。 |