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2、自己認識。


内実などどうでもよく、ただ観念的にカテゴリー化された、外面的で形式的な行為として、外からムリヤリ覆いかぶせられているのである。そして、これを正義として秩序や道徳、あるいは自分たちが信じるものとして、押し通して広げて行くのである。

だからまた、上辺だけの、形式的な上下の関係として、――例えば東アジアでは儒教道徳として、――秩序や道徳の正義として、それが求められるのである。それとは、これが自分にとっての、そしてまた自分たちにとっての、信じるもの、その根拠と理由になっている、ということなのである。

すなわち、これが自分自身の内的同一性なのであり、アイデンティティーとなっているのである。自意識と自己認識となっているのである。従ってまた、「上下の、目上と目下の関係」が、どうしても不可欠で、なくてはならない必須のものとなっているである。
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