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6、錯覚。


だからそれは、空想でも誇大妄想でもなく、本能的な直感であり、予測であり、暗示なのである。それは錯覚なのかも知れないが、持って行き場の失くした情緒の障害といったものが、何かしらの意味不明なイメージとして、そうした幻覚や錯覚として現れ出てきているのである。

そうした情緒といったものは、なにかを求めているのであって、そしてそれは自分にとって、どうしても必要なことなのである。そしてそれが現実に無い、ということなのである。また、自分でもそれが、何なのか知らず、わからず、理解もできないものなのである。だからまた、それは、錯覚や幻覚として現れるしかないものなのである。

たしかにそれは、根拠が非常に曖昧でぼやけてはいるが、それでもそれは、たしかに自分自身の内的世界の反映なのである。自分自身の内的世界といったものが、あるいは無意識の潜在意識といったものが、あるいはまた、夢の世界といったものが、現実の世界に現れ出てきたカタチなのである。そうするしかなかったのである。

戻る。                    続く。

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