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自分自身の身体内部の作用が、それを言葉や思考といてではなく、身体作用の生理の営みとして、あるいはまた、それの不具合や障害として、それを示唆し、暗示し、そしてそれへと導きいざない続けているのである。 そして、そうしたことが自分でもわかるし、意識もされてくる。これが「自己意識」なのである。それは、自分に対する自分の、内的な感情と感覚の意識なのである。自分で自分を感じているのである。 それは、ただたんに他人との関係で脅(おど)され、あるいはそそのかされて、いやおうなく知られ理解されてくる「自意識」とは、まったく別のものなのである。 だからまた、このような自己意識のないところでは 、自分というのが、自分の外に求められる。自分というのが、自分でも知らず、理解もされず、意識もされない以上、そうならざるを得ないのである。そうする以外に、自分を意識する方法がないのである。自分にはそれしかないのである。それ以外の者になり得ないのである。 |