index< 日誌 < c信じるもの19-67「自分たち」p7


6、なりたち。


そしてこれが標準的かつ模範的な、圧倒的多数の普通の人々なのである。そして、そうやって始めて、社会というのが成り立ち、安定し、継続して行くことができるのである。世の中には秩序が必要なのであって、そうやって秩序と平和と安定が保たれているのである。

このように言えば、かなり理不尽で不合理、それどころか非現実の空想のように聞こえるけれども、それは、自分がそうした社会に生きていいて、また、自分もそれを当然のこととして、無意識のうちに行っているからなのである。

自分が、そうした世界の住人なのであって、そうである以上、それは自分に見えることも気づくこともないのである。それが見えないし、気づかないということが、自分の生き方や生活の条件になっている、ということなのである。

だから、気づくということがないのである。見えないのである。気づく場面もキッカケもないのである。そしてそれが、自分たちの日常であり、普通の生活なのである。そしてそれに疑惑を抱くなどということは、本来あり得ないことなのである。それは、自分の存在そのものを、自分で破壊してしまうことになるからである。

そうした世界の中に生きている者にとっては、それは見えず、聞こえず、知り得ないことなのである。また、見えず、気づかず、知らないから生きて行ける、そうした世界なのである。それは自分にとって当然の常識なのであって、だれもそれに疑惑を抱いたりしないのである。またそうやって、世の中というのがうまく回ってゆくのである。

戻る。                  続く。

index < 日誌 index< 日誌 < c信じるもの19-67「自分たち」p7