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実際その通りで、このようなワケの分からない異人種の、異質な習俗と考えが広がって行くと、社会のなかでの自分たちの居場所がなくなってしまうのである。だからまた、自分が変わらなくてはならないのであるが、それが自分には出来ないのである。そしてまた、それが出来ないからこそ、求められているからこそ、また一層余計に腹が立ち、イラついてくるのである。 それが出来ないというのは、いま生きている自分のことで、自分の拠りどころ、生き方や考え方を変えるということであり、それは自分で自分を否定することにつながるからである。だから出来ないのである。自分が無視され、辱められ、陥れられていると思えてくるのである。 しかし実は、これがグローバル化なのである。 民族や国民同士の関係ではなくて、あるいは国家と通した関係ではなくて、民族や国民というのが消えて行って、国家を無視して、素通りして行く、そうしたお構いなしの、国民という枠や囲いを消失した、そうした無差別の国際化なのである。 人間の価値観や常識、道徳の中から、民族や国民という概念が限りなく薄れて失われて行く。それは、そこから自分が生まれ育ってきた馴れや習俗・習慣といったものが、自分のなかで無用のものとして捨てられて行く。自分が自分でなくなって、自分が誰なのか分からなくなるのである。だからまた、それが許せないのである。 |