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5、行為。


これは、越えてはならない一つの境界であり、この境界線を越えたところに、人間が生きて行く方法はないのである。だからまた、そこから離れることが出来ないし、それにしがみついて生きて行くしかなく、そしてそれに執着し、それこそが唯一の正義のように思えてもくるのである。いや、そう思わなければならないのである。

そして同時に、これに反する者は、なにが何でも潰しておかなければならないのである。そして、そうしたことが、自分と自分たちにとっての存在理由、心の拠り所、「信じるもの」となっているのである。そしてこれが、自分が自分であることのすべてとなっているのである。自分の証明であり、根拠のように思えてくるのである。

それは誰でもよい。表面上、「自分たちでない者」でありさえすれば、だれでもよいのである。そうやって、群れて仲間化し成り済ますのである。そのためには、「自分たち以外の者」がどうしても必要なのである。

また何よりも、何でもよいから、だれかを「排除する」という行為自体が、どうしても必要なのである。それが自分の証明なのであり、そうやって、自分が自分であり続けることができるのである。自分が自分であり続けようとするならば、それ以外に無く、そうするしかないのである。そして、それを証明する行為そのものが、どうしても必要なのである。それが排除という行為なのである。

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