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しかし、それでもやはり人間には、自分でも訳のわからない、そして自分でも、どうにもならない感情というのがある。意識や思考以前のところで自分を支配し、突き動かしている、無意識の感情の動きといったものがある。クセや馴れ、習性や習慣といったものがそうである。情緒や、人間特有の気質や気性といったものも、そうである。 自分でも気づくことなく、意識もされないままで、何かを求め、信じ、目指し続けているのである。なぜ、そうなるのか自分でも意識もされず、理解もされず、分からないままなのであるが、ずっとそのままで、そうであり続けるのである。まるでそれが自分であるかのように。 だからそうしたこともあって、本人にも理解できないまま、無意識のままで、何かワケの分からないものに惹(ひ)かれ、自分が導かれ、暗に求められ、いざなわれて行くのである。無意識の「暗示」みたいなものに惹かれて行くのである。 自分が、まるで他人のように思えてきて、自分のなかに住む、もう一人のた他人のような自分に支配され、呑み込まれ、憑かれて行くのである。そうだ、確かに憑かれている。そしてその中から、普段見えることのなかった自分が映しだされ、そして浮かび上がってきている。 |