index< 日誌 < c信じるもの< 19-83「自分たち]」p7- |
自分というのを自分の外から見ていて、そしてそれが自分の中で映し出されているのである。再現されているのである。つまり、これは偏見であり、主観なのである。 そして、この再現の仕方が、実は自分自身のすがたなのである。自分で自分を見ているのである。そうした見かた、見え方を通して、自分自身の存在の仕方と、そのタマシイの世界を見ているのである。 外の現実の世界が問題なのではない。その現実というのが、自分の中の自分の感覚によって再現されたものであって、それが自分の中で見えているということなのである。そしてそれ自体が、自分自身の遺伝や生活スタイルによってもたらされたものである、ということなのである。 それは、自分自身の「存在」の仕方を映し出しているのである。要するに、自分にとって見える外の現実の世界というのは、自分と自分たち、そして祖先たちをも含めた、そうした「種」としての自分たちが生きてきた歴史の結果なのである。そしてそれ自体がまた、自分にとってのタマシイなのであり、拠りどころでもあり、そして自分自身そのものなのである。 |
index < 日誌 index< 日誌 < c信じるもの< 19-83「自分たち]」p7-
l