index< 日誌 < c信じるもの< 19-84自分たち11p5-


4、適応。


なぜなら、そうでないと、それは途中で途切れて消えて無くなっているはずなのである。そしてこれが世代を越えて永く続いているということ自体が、これがすなわちシステムなのである。オキテであり、秩序であり、常識になっているということなのである。このような条件と環境の下で生きているということなのである。

しかしまた、そうである限り、そうした世界の中で生きている限り、それがシステムであると気づくことがないのである。そしてこれが自分が生きている世界である以上、それに従い、それに基づいて自分を馴(な)らし、作り出し、適応して行くのである。自己を環境に合わせて最適化してゆくのである。そうするしかないのである。

そして、このような自己の最適化、「適応」といったものが同時に、適応できずにいる人々に対する差別と排除につながっているのである。信仰や出自、身体的外見の特徴として、それが識別され象徴化されてゆくのである。

「適応」とは、適応できない者に対する、このような迫害と蔑みのことなのである。そしてまた同時に、すでに適応し尽くした者の、新たな適応に対する反感と憎しみのことなのである。

戻る。                   続く。

index < 日誌 index< 日誌 < c信じるもの19-84自分たち11p5-

l