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迷信でも、偏見でも、錯覚でも、誤解でも、そんなことはどうでも良いのである。それが、自分の立場と存在を正当化してくれるものでありさえすれば、そんなことは、どうでもよいことなのである。従ってまた、これが自分にとっての正義であり、真実となっているのである。そうした迷信と妄想の世界を生きている。 だからまた、そうした自分というのを満足させてくれる「情報」だけが集められる。そして、それだけが真実であるかのように、他人にもそれを押し広め、強要するのである。そうすることが、自分の立場というものを、より強く確かなものにしてくれる、と思えてくるのである。 あるいは、そうすることだけが自分を納得させ、認めてもくれるのである。自分には、それしかないのである。そうした非常にせまい世界の住人なのである。しかしまた、それだけが自分が生きて行く道になっていて、世間からも認められる、ただ一つの生き方になっているのである。 いまでも、そしていままでも、ずっとそうであり続けたし、これからもそうであり続けようとしているのである。自分には、それ以外の選択肢がないのである。自分にはそれしかないのである。自分のなかに自分というのが存在せず、自己意識が自意識として自覚されることのない世界にあっては、そうする以外にないのである。 |
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