index< 日誌 < s設定< 20-01「傾向1」p12- |
もちろん、こうした空間的狭さゆえにルールやマナーといった、シツケや常識については、見ず知らずの他人の子供に対してもクチやかましく干渉してくるが、それはあくまでも公衆道徳にかかわる事であって、相手の心の中まで入って行くことは決してない。根に持たれるというか、災いといさかいのタネになってしまうからである。 空間だけでなく文化的にも狭すぎるのである。いつでも、どこにいても顔を合わせるといったことが十分にあり得るからである。だから他人のことに深入りしたがらないし、しないし、出来ないのである。 どうしてもというときは、必ず誰か第三者を通して言うことになる。クチ聞き屋ばかりがやたらに多く、また、何もかもがコネと談合で決められるというのもそうである。それは言語や色彩感覚、さらに自然環境についてもそのまま言えることである。 |